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近所の通りにヒマワリが植えてある。
並木の脇にヒマワリが大きな輪を見せている。
最近のヒマワリはミニヒマワリが主流だけど、この通りの人は昔ながらのヒマワリ。
夏の風景を思いながら種を蒔いたのだろう。
夏の初めにコスモスを植えた友人がいるけれど、コスモスは元々秋の風景。秋桜というくらいだ。
亡くなった母の記憶に北国の畑を一面にコスモスが咲いている。
コスモスは背が大きくて、子供のσ(・_・)がそのなかに入ると母や祖母の姿が見えなくなった。
でも祖母や母からはσ(・_・)が見えたのだろう。不安になって上を見上げると母も祖母もいた。
日本のあちこちにコスモス街道があるけれど、韓国の田舎道を通ったときにそこもコスモス街道だった。
日本の種まき人も韓国の種まき人も秋にコスモスの咲く想像力があったのだ。
季節を創造し、種を蒔いたり、木を植える人たちの自然への重いが豊かなことを感じる。
農業で生きる人たちは季節にもっと敏感なんだろう。
園芸店には秋用のキュウリの苗も売っている。
都会のアスファルトの街で生きている我々にはそんな完成はほとんどない。
季節を感じることが下手になっているのだろう。
今週半ばに若い時代の友人たちと食事会をする。BBQだけどね。
20代の初めの友人たちだ。
禁酒をこのときだけは解こう。
今日は庭の整理と部屋の整理整頓だ。
汗を流しながら、一日を過ごそう。
あ
立ち上げてね。(笑
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